1940年代ハノイに暮らす日本人の地図

1940hanoi-yoshzawa.jpg今日は1940年代にハノイで生活した4人の”日本人”に聞き書きした
「私たちの中のアジアの戦争―仏領インドシナの「日本人」 」(吉沢南著)
を読みました。
日本人がかっこ付きになっているのは、台湾で生まれ、「日本人」となった
方もいるからです。
大変うれしいのが、職場「日本軍司令部」や下宿先ハンダオ通り、借家、遊郭街などの場所を書いた略図が載っていること。ここにちょっと紹介します。家の位置がわかると、なんだか、リアルでいいですよね。
●当時の給料とすごいインフレ
なお当時の給料は、
ベトナム人で40~50ピアストル(ドン)(高い方)
台湾人で120~130ピアストル(ドン)
もちろん日本人やフランス人はもっと高いです。
それもすごいインフレで、どんどん金額は上がっていったんですって。
●路上の行き倒れ人
ベトナム人も書いていますが、当時は食べる物がなく
ハノイの通りでも、ばたばた人が倒れて、死んでいたそうです。
(あとからボランティアの車が来て死体を回収するそうです。
なお、日本では行き倒れ人は保健福祉の係の方が担当です)
※略図は「私たちの中のアジアの戦争―仏領インドシナの「日本人」 」より