稲垣志代と小谷剛、貧しさと豊かさと

「稲垣志代と小谷剛、貧しさと豊かさ」 
*なぜ稲垣足穂?
稲垣志代は、星空から落ちてきたような天才作家 稲垣足穂が中年になっていっしょになった奥さんです。
「って日本文学ブログではないでしょう」と言われるかもしれないので説明すると、
稲垣足穂が不遇な時代に作品を発表していたのが、ベトナム友好協会愛知県連合会の会長 小谷剛の主催する文芸誌「作家」であり、
小谷剛の家で看護師をしていたり、彼の実家の新聞店を経営を継いでいたりしたのが稲垣志代なのです。
この辺のことや、足穂に志代を紹介した、ユリイカの創始者 伊達得夫のことはあちこちに紹介されているのでくわしい説明は省きます。
*稲垣志代とは
志代自身の書く生い立ちによると、彼女は早く父を亡くし八幡で、
見習い看護師をしながら正看になり、仏教救世軍の活動をしていました。
(現代のボランティアと同じで、貧しさと闘う社会活動がはやってたんですね)
小谷剛の父のすすめで結婚をして、夫に学費を送り、新聞販売店と助産所で懸命に働くも夫に裏切られ、
離婚後は尼の資格を取って、戦後児童福祉法によって設けられた児童福祉司になります。
母子寮や養護施設で働くうちに、稲垣足穂を紹介され、文通を続けます。
ある時打越の下宿を訪ねて彼と結ばれ、(尼じゃなかったっけという疑問はスルーしておきます)
結婚して京都に来た彼の世話をするようになります。
*貧しさと豊かさ
稲垣志代と小谷剛は、同じようなできごとをそれぞれ別の本に書いています。
2つの本からは、かたやにじみ出る生活の苦労、かたや資産がある人の豊かさを感じてしまいます。
(実際は志代も公務員ですから、それほど貧乏ではなかったと思いますし、
小谷も学生の時は、裕福でなく給費性となって医専(今の医大)に通ったそうですが)
たとえば、ある時、志代の同僚がおぼろ昆布だけで満足に食事をしていない寮に「作家」同人が来ます。
志代は、同人の女性から、朝食はパンと牛乳に決めているので、牛乳を取ってくれと言われてとまどいます。
寮では、牛乳を配達してもらうお金もないのです。
また気むずかしい足穂に、生活の足しになる賞金のある文学賞を取って欲しいと、気づかいます。
一方、小谷剛はダンスの会や演劇を主催し、普段から気軽に女性と料亭に行きます。
また京都で訪ねた知り合いの家で、主人の世話になっていた志代に会った時
主人の娘から彼女は妾に決まっているみたいなことを言われます。
豊なその家の主人は何人もの女性を家に置いていたのです。
しかし、貧しさと豊かさの対極であっても、
志代は貧しいながら足穂との結婚生活を維持することで、
小谷剛は「作家」という発表の場所を提供することで、
足穂の文学を後世に残すことができたのですから、すばらしい3人の出会いだったと思います。
参考:「夫稲垣足穂」稲垣志代,芸術生活社 写真も