朱印船時代のベトナムとのつながり1
●朱印船時代を紹介する記事や本
16世紀終わりから17世紀初め、豊臣秀吉の時代から鎖国までの時代は、アジアやヨーロッパと盛んに貿易をしようとした時代です。朱印船による貿易などについて、現在でも多くの本やドキュメンタリーなどの資料が出版されていますが、1940年前後(つまりアジア支配の野望があった時代)にも、一般向けの多くの本や記事が出ています。
●安南でみだりに安南人を殺戮する日本人って?
1940年に国枝史郎と言う作家が、「秀吉・家康二英雄の対南洋外交」という記事を「外交」(たぶん当時の雑誌)に書いています。
その中に「秀吉が九通しか許さなかった御朱印を、家康は、慶長九年に一挙二十九通許可し、盛んに貿易させたのであった。しかし家康が南洋諸国に政策の手を延ばし、外交を開始したのは、それより少し早く、慶長六年のことであり、安南都統の阮敬という者が「日本人、当国海岸に漂流し来たり、当国人を妄(みだり)に殺戮す」と申し来たに対し「凶徒は貴国の法律に照して処罰されたし」と返書を与えたことから始まり、翌七年、又安南の大都統、瑞国公より、通商に関する来書があった時「風波は天なればご注意ありたく、凶賊は人にして、その凶賊は既に日本の近海より姿を消したれば、安んじて通商に従事ありたし」という意味の返書をした。」とあります。
「当国人を妄(みだり)に殺戮」する人って、いったい誰なんですか? 海賊なんですか?それとも元秀吉軍?
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