戦前にベトナム訪ねた日本人の詩

1940年代前後には、海軍や陸軍、外務省の招きで
吉屋信子、林芙美子など多くの小説家や画家がベトナムを訪問しました。
金子光晴の妻、森三千代もその1人で
ベトナムについて詩を書いています。

安南人の女が唄いはじめると、
安南琴もいっしょに嘆きの歌を唄う。
それは、愛する男と暮らせない哀しみであり
遠くに離れた男へのはげしい愛である。
父母や家族やなじみのものへの愛を
見捨てざるをえない弱い女たちは、
喪の心で、揺れる花の輿にゆだねられている
これは まさしく彼女らの心の奥深くをしる歌だ。
安南のその女が唄いはじめると、
ハノイはすすり啼く こぬか雨で
みんながしっているその女の心
だれもがその声をきくと、とめどなく涙ぐむ。
一柱寺の塔
白蓮よ
おだやかな死のあとにおとずれる
やすらかな栖(すみか)、
極楽界。
そこには、久遠のよろこびと静けさが、
可憐な緑のうきくさから湧きでた
白蓮の聖杯、おお白蓮の塔よ!
薔薇と黄金でふちどられた
雲が 極楽鳥のはねのようにたなびく。
大空に塔は浮かび ただよいながら流れ
千年の歴史をよこぎる。
心うばわれる奇(く)しき塔
ハノイがその掌にのせて
さしだしている、大空のたかみへ
眸(ひとみ)をこらして仰ぐ、私は笑みこぼれて。
美(うま)し大地
私は飛行機でやってきた。
私の飛行機は富士山をかすめ、多彩な雲のなかを
くぐりぬけて 通りすぎて。
すばらしい展望が私のうえにひろがる。
ふいに私は尺蠖蛾(しゃくとりが)のように墜ちる、
花粉をまきちらしながら。
ここがインドシナだ!
私はあなたに何をもってこれるだろう?
私といえば、フランス語も安南語も喋らないし、
値のあるものも面白可笑しい話もない。
何も持たない蝶の私は。
そよ風とあまたの塔とゆたかな青田に
私はおりたつ、
真摯(まこと)をみたして、あますところのない私のこころをだきしめて、
あなたに私はそれを捧げる。
「詩集インドシナ」森三千代 牧洋子訳
(「金子光晴と森美千代」牧洋子 中公文庫に掲載)