まだまだ続くバーデーの物語

phonghoa50ドーソン.jpgまたまたバーデ-の物語の続きです。
こんなに続ける気はなかったのですが、
かなり続いてしまいました。
今度ドーソン行ってみようかな。
バーデーの物語をたぶんベトナム人が採録して
それをフランス語に訳して、さらに
日本語訳にした「ドーソン悲話」というのが
中公文庫にもなっていて、古本で買えます。
内容は、親孝行の女の子が、鄭氏の宰相に出会って
その後妊娠、結婚しないで妊娠したと裁判で責められ
貧しい漁師が命じられて、彼女を殺すが
反対に、漁師がのろい殺されて、宰相は村に祠を建てる
という物ですが、どうも、流れに無理があるような…。
*疑問点色々
・まず、妊娠したくらいで殺されるのか?そんなに道徳的だったのか?
・なんで宰相からもらった指輪を捨ててしまうのか?
・村人に命じられて結局殺される貧しい漁師がかわいそうじゃないか?
とか、ま、口承文芸だから許します。
イラストは「フォンホア誌」50号より
「ドーソン非話」
森三千代「金色の伝説」 1942年,協力出版社
底本はフェルナンド・セルブロン,”Legende d Annam”とされる(1938,Fernand Cesbron,”Contes et légendes du pays d’Annam” Préface de Phan Van Daiと思われる。1925年にLê Văn Phát名で同名の本がある。1925年にベトナム語で書かれたものを1938年にフランス語に訳したのだろうか?)


 ハイフォンの港から三十五キロの南に避暑地のドーソンがある。
 ハイフォンからド-ソンへ行く道は、紅河の河口に沿っている。坦々たる自動車道の一方は畠でそこには、百姓達の着物を染めるクナウの草が、赤い泥土の上に到るところ栽培されている。頸に白い輪をかげた烏のような烏が畠の上を低く、鳴きかわして翔んでいる。
 高い岬の中腹に総督官邸の赤い屋根の積木のような建物が見えると、そこはもうドーソンであった。
 海岸寄りの別荘地には、真赤なブーゲンビリヤのからむ垣をめぐらした瀟洒な別墅(べっしょ)がうちつづき、その道は、ド-ソン海岸の散策路に通じていた。
 ハノイやその附近の都市に住む有産階級の人達が、六、七月の暑さをここに避けに来るのだ。水の色は、紅河が注ぐので薄紅色をしているが、遠くアロン湾を指呼(しこ)することが出来、色彩が強く、油絵のように明澄な景色である。
 この風光明媚で、平和なドーソンの海辺に、二百年以前、一つの戦慄すべき物語があったとは、誰も想像することが出来ないであろう。
 黎王朝の末期、その権力はすでに、宰相鄭(テイン)氏の手にうつっていた。
 今日明るい別荘が並んでいるその場所に、その頃は、暗い、侘びしい藁屋の家がところどころ散らばっているきりであった。集落の数は八つあったが、いずれも中心の地からかけはなれて、海賊や颱風の荒らすがままになってさびれ切っていた。
 ドーソンの住民達は漁夫を本職としていた。
 ある者は百姓もしていたし、塩をつくっているものもあった。彼等は、古風なおとなしい風俗と、すぐれた道徳感情をうけつたえていた。
 素朴なこの集落には、まだ町のいまわしい偽善の風俗はしみこんでいなかった。
 ドーソンの貧しい集落のなかで、ともかくも豊かな家として村民に尊敬されていたニョオの一家があった。
 しかし、ニョオの家にたとえ耕作を助ける水牛がいたにしても、米をつくる幾枚かの稲田を持っていたにしても、一人の老父と多勢の子供達を背負っているニョオ夫婦は、一瞬間でもぶらぶらしているわけにはゆかなかった。
 長女のディエは、十六歳になっている。彼女は田舎育ちではあったが、器量のいい生れつきで、秋の漣のように清らかな眼、春の遠山のような美しい眉毛を持っていた。みめかたちが美しいばかりでなく、彼女はまた美徳の権化であった。
  家にある時は祖父を尊敬し、年をとってからだの不自由なこの老人をいたわりかしずいた。また、両親の日々の仕事をなにくれとなく、まめまめしく手伝い、彼等のいないあいだには、長女のこととて、弟や妹達の世話に忙殺されるのであった。
 他人に対しても彼女はしとやかで、誰にでもやさしかった。背の詩人達が、花にあつまる蜂雀や蝶にたとえたように、美しい少女のところへは、愛慕の情を抱いた青年達がたくさん集ってくるのが常だった。
 集落ばかりでなく、はなれた村の若者達まで、彼女のことを伝え聞き、彼女に思いをよせないものはなかった。
 八方から、いろいろな仲介者を中に立てて彼女を嫁にと申込むのだった。
 古い安南の風俗では、娘と息子の結婚は、相方の両親の話し合いではとりきめられない。それは、どちらかの拒絶の場合の気まずさを避けるためだった。そのため、間接の仲介者と仲介者のあいだで話しあい、それをそれぞれの両親のところへ持ってきてとりきめることが多かった。
 ディエは、どんな縁談にも不承知だった。これならばと思うような縁談を、二度三度と彼女がことわりつづけたので、両親は、娘の我儘を責めた。
 ディエは、その時もやさしくうなだれて、小さな声で返事をした。
 「わたしはまだお嫁に行くには早すぎますわ。よその家庭へはいっても、なに一つ先方のお気に入るようなことは出来ませんわ。お父さん、お母さん、お二人の髪はだんだん白くなってゆくでしょう。お二人の顔色は、亀の甲のような色に変ってゆくでしょう。お二人はおじいさんのおもりをしなければなりません。それに、弟や妹たちは、まだほんのちびです。御二人は、だんだん仕事に骨が折れてきましょう。御両親さまのお手助けをするものは一人もありません。娘としてなすべき道をおろそかにして、こんなありさまのままで、自分勝手な生活を夢見ることは、よいことではないと思います。弟や妹たちが大きくなって分別がつく年頃になり、私のかわりにお二人の手助けが出来るようになった時、その時が来たら私も夫を持ちましょう。いまはまだ、決してその時ではありません。」
 悧巧な娘の言い分に、両親は感服して、そのうえ自分達の意志をおしつけるような
ことはしなかった。
 単調な月日が流れていった。
 ディエはおよそおもむきのない、あくせくした生活をつづけた。
 ある日のこと、彼女は二、三人の友達と海岸の丸丘へ草を採りに行った。日没前に彼女は帰途についた。たくさんの草を背負いこんだので彼女は疲れ、丘の麓に暫時、荷を下ろして休んだ。連れの者たちは先へ行って、もうその姿は目えなかった。
 入陽の海の色は美しかった。うっとりとして眺めていると、数隻の大きな、シナ風な船が、海岸近くを、辷(すべ)っているのを見た。見たこともない立派な船だったので、彼女はあっけにとられていた。
 船尾は豪奢な彫刻でうずめられ、金や赤でぎらぎらするほど眩ゆく塗りたててあった。
 ディエはその船はきっと王様の船にちがいないと思った。
 果して王様よりも強い権力のあった鄭宰相の船隊で、その附近の海上を監視してまわり、丁度、ドーソンの海辺にさしかかったところであった。
 宰相は、美しい岸辺が見えたので、船旅のうさをはらすために、陸に上り、あたりの景色を観賞しようとして、にわかに船を岸へつけるように命じたのであった。
 船が岸に着くと、衛兵達は、宰相を黄金づくりの輿(こし)にのせて水をわたり、見晴らしのよい丘陵の上まで運んだ。
 手に剣や矛を持った武官達が、いかめしく宰相の前後をまもっていた。
 若い百姓娘のディエが、驚きからまださめきらないうちに、行列は彼女のすぐそばまで近付いていた。
 宰相は彼女を認め、そこへ輿をおろさせて、そして武官の一人に、聞きたいことがあるから、あの娘を連れて来いと命じた。
 背の高い、みるからおそろしげな顔をして、極彩色の着物を着、兜をかぶり皮鞋(かわわらじ)をつけ、ぎらぎらする剣を手に持った二人の武士が近付いて来るのを見て少女は、唇まで蒼白になってしまった。おそろしい災害が迫って来ることを、彼女は感じた。手も足もぶるぶると震え、切角今日一目の労力で集めた草の荷を、かついで逃げようとして取り落してしまった。
 彼女にとって、それは大失策だった。いそいで地面に散らかした草を集めようとしているあいだに、武士の一人がぐっと彼女の手首を掴み、宰相の輿のところまで、ずるずるとひきずって行った。
 鄭(てい)宰相は、この女を召し寄せたことに、大した底意もなかった。ただ、このへんの村の人達が、どんな様子で生活し、都のことをどんなふうに考えているか、それを聞いてみたかっただけのことだった。
 しかし、この美しい娘の、象牙彫りのような白い顔、枝垂れ柳のような細々とした眉、可愛らしいはなびらのような唇、黒曜石のような、おはぐろの歯を眺めた時、心が天外に飛んだ。
 殊に、武士に手を執られて、おそれおののいている姿は、辛い北風の下に、枝毎揺られている花のように可憐に見えた。愛慾のあらしが、心のなかに吹きすさび、情熱にわななきながら、宰相は、独りごとを言った。
 「まったくおどろいたことだなあ。砂の中から砂金が出てくるとは知って居ったが、金の鰻が住んでいるとは思わなかった。もしこの娘が貴族のたねだったら、結構、王様のおもいものになる資格がある。」
 彼は、数カ月にわたる巡視の旅のために遠ざかっていた都の生活を思い出した。立派な壁画のある部屋のなかで、たのしい饗宴の夕を過したことが、やけつくように思い出された。
 姿こそはひなびていても、天性の麗質を持ったディエを眺めていると、都へかえったように心がゆたかになった。彼は、この素朴な花のにおいを嗅いでみたいと思った。そこで、一人の武官に、合図をして呼びよせ、そっと耳打ちをした。
 武官は、そこにいる兵士達を遠ざけて、丘のうえに、宰相と娘だけをのこした。
 宰相は少女の手をとり、もっと親しく語りあえるように近寄せた。しかし、この宰相の振舞いは、涼風や月光の下で互いの感傷をうち明けあう貴族らしい習性とはまったくちがっていた。
 可哀そうなディエ、無邪気な小娘のやわらかい皮膚や、もろそうな骨は、この不名誉な苦痛をしのぶよりほかはなかった。
 宰相は、ディエとの別れ際に、一匹の竜をこまかく彫り、金剛石をちりばめた金の指輪を、自分の指からぬきとり、彼女の手のうえにのせてやった。そして武士を呼んで、少し遠いところへ彼女を連れ去るように命じた。彼自身はふたたび輿にのって船へかつがせた。
 船は錨を上げ、従う船を引連れて、しずしずと沖の方へ出て行った。
 すでに太陽は西の山にかくれ、月の盆は波の上に躍り上っていた。
 心の底から悲歎にくれたデイエは、うつろな眼で、遠ざかってゆく宰相の船を見送っていた。船は月光の下で、満帆に風をぼらみ、一瞬一瞬に、水平線の方へ消えていってしまった。
 彼女の心のなかをたとえば、休みの日の市場のなかの空しさに似ていた。どこを眺めても味気なかった。金剛石の指輪にそっと手を触れてみた。夢であってくれればと思った空頼みも甲斐がなかった。現実のあかしのように、指輪は手に触れた。
 突然、彼女の眼から、熱い涙があふれ出た。
 彼女は空の方を眺めて、叫んだ。
「天帝様、私は、どんなわるいことをしたのでしょうか。こんな目にあうような過ちをどこで犯したのでしょうか。」
 とうとう彼女は、海に身を投げて死のうと決心した。逆巻いている怒濤のうえの、岩石のいただきに立って見下ろした。真逆様にとびこめぼそれですんだのだが、瞬間に、彼女は、彼女がいなくなったあとの家のことが頭に浮かんだ。私がいなくなったら、御両親様はどんなに慨き、どんなに頼り少なくなるだろう。お祖父様や、弟妹たちは、どうして暮すだろう。そう思うと、自分ひとり死ねぼよいというわけにもゆかなかった。苦しんでも生きてゆかねばならない。そして、死ぬことを思いとどまり、海岸の岩のうえに、ながい時間うずくまっていた。涙は限りなく流れた。指輪は彼女の手から、辷り落ちて、海底に沈んでしまった。
 草の荷物をとりまとめて肩に背負うと、彼女は踏む足も重く家路をさして帰って行った。
 こんなことがあったとは、集落中で誰一人知るものはなかった。本来なら、宰相の船が陸に着いたとき、見張番が法螺貝を吹いて村中に注進する筈であった。怠けていたのか、油断していたのか、宰相の船がこの村の海岸に来たことを知っているものもなかった。
  ディエも、そんなことを誰に言う筈もなかった。
 何事もなかったように、漁村の単調な日が今日から明日へとつづき、あわれなディエはすべてをあきらめて、味気ない日を送っていた。
 彼女は、からだに異常を感じて来た。仕事には疲れやすくなり、眼の前には蝶々が舞い、食慾もなく、夜も眠れなかったゞたべたいものは、果物ぽかりだった。
 彼女は、自分のうえにどんなことが起ったのかを知った。そして今後はどうすればよいのか、もし家族の人が知ったら、どうだろう。集落の人達が知ったら、どんなことになるだろう。評判は、ひろがるのをとても防ぎきれない。結婚しないで子供を生んだというあやまちは、軽いあやまちではない。集落の人達は、制裁を加えるだろう、殊によると、両親さえも同罪に陥るだろう。そんなふうに考えてゆくと、彼女の心配は果てしなかった。かくすよりほかに方法はなかった。あまり心をつかつたために、彼女はとうとう病みついてしまった。
 心配する両親に対して、彼女はつとめて浮かぬ顔を見せまいとした。だが、心の暗さをかくすことは出来なかった。
 両親は、彼女の枕許に坐り、ただおろおろするぽかりだった。日が経つにしたがって、彼女は、とても長いあいだかくし切れないことをさとった。暗澹とした前途を思って、胸が締めつけられ、悲しみがさけて鳴咽となった。
 母親は泣声を聞きつけ、走りよって、どうしたのかとたずねた。もはやかくし切ることが出来ないで、彼女は母の肩に頭をおとし、むせび入りながら、一部始終の物語をした。
 あとは正体もなく喘ぎ泣くばかりであった。
 母親は、娘の秘密を聞いて、茫然となった。
 可哀そうな娘のために、なんとかしてやらなければならないと心をくだき、朝になるのを待って、このおそるべき悪夢の一部始終を彼女の夫に話して相談した。
 ディエにとって不幸なことには、世間に詮索好きな人間がたくさんいて、なにか変ったことはないかと眼を瞠(みは)っていることであった。そういう連中の眼が、いつの間にか彼女の日毎に大きくなってゆくお腹に注がれ、すでに疑うべくもない真実を探知していた。
 ディエの一家の知らないうちに、噂は集落中にふりまかれていた。
 ある日、集落の長老達が村の亭(ダイン)に集った。亭は、もとは国民兵を募集する時に兵営に使った場所であったが、後は、村の鎮守神を祀る寺となり、長老達が集って村の相談事をしたり、裁きをしたりする場所になった。
 長老達は、集落の人達の意見によって、ニョオ家の娘のディエの問題をとりあげることにした。翌日早速、父と娘を呼び寄せることに決定した。
 一人の村民が呼出しの使者に立った。
 使者が来たので、両親は額をあつめて心配しあった。それを見てディエは、つとめて無邪気に、ふたりを慰めようとした。
「私は女に生れてきたのが、残念でしようがない。そのために、御両親様にたいへんな苦労をかけるのですもの。でも、私の心が清浄潔白だということを御両親様は知っていらっしゃいます。亭へ行っても、私は立派に申開きをいたしますわ。そうしたら、村の人達も、私の方にあやまちがないということをわかって下さるにちがいありませんわ。私の弱い力ではどうすることも出来なかったことがはっきりわかれば、きっと私達は罰せられるようなことはありませんわ。」
 その当日が来た。
 長老達が集り、集落の主だった連中もやって来た。ディエは、皆の前に引き出された。
 彼女は、鄭宰相と海岸で出会ったいきさつを語った。
 聞いていた人達は、ざわめき出した。
 鄭宰相の悪徳の行状を信ずるものはなかった。誰もが思ったことは、都の宰相がこんな片田舎の漁村の小娘に見向きもする筈はないということと、鄭宰相の船が海岸へ来たならば、日夜海岸を見張っている番人が見かけないわけがないということだった。
「どっちにしても、これは理屈に合わない。」
 そう言って、長老達は、おそらくディエの作り話であろうということにおちつきそうになった。だが、念のためにその当日の海岸の見張番と、彼女と一緒に草刈りに行った友達を呼び寄せることにした。
 番人は自分の怠慢が知れることをおそれて、当日そんな船は一そうも見かけなかったと言い張った。一緒に草刈りに行った連中は、彼女よりも先へ帰ってしまったので、あとでそんなことがあったことは知るわけがなかった。
 動かない証拠としてものを言うのは、金剛石の指輪一つだった。しかし、ディエは、くやしまぎれに、それを波の荒い海底にすててしまったので、もはやどんなことをしても探し出すてだてはなかった。
 ディエの罪は、おおわれないものと決定した。
 こんな場合、集落の法によれば、生きたまま海に投げ込むことであった。
 到底、自分の潔白をこの世ではあかすことが出来ないと知ったディエは、長老に向って最後の言葉を言い放った。
 「私が海に投げ込まれたとき、波に引込まれる場所で、私は浮き上るにちがいありません。それは、天帝が私の潔白のあかしを立てて下さるしるしです。」
 長老達は、二人の、村でいちばん貧しい漁夫をさがし出して罪人を、いちばん深い淵に沈めるように命じた。ディエの両親には、この二人の漁夫に、十リガチュールずつの日当を払うように言い渡した。
 二人の漁夫たちは、あわれなディエを伝馬船にのせ、手足をくくり、せなかに重たい石を結びつけた。
 もっとも深い淵まで漕いで来たとき、彼等は、縛り上げたディエをつり上げて投げ込んだ。
 その時、一つの奇蹟がおこった。
 投げ込まれて沈んでゆくかと見えたディエのからだは、波の表面にじっと浮び漂い、そのまわりの波がキラキラと光って、漁夫達の眼を射た。
 少女は水のうえから、漁夫たちに告げた。
「ごらんなさい。天帝は、私の心の清いことを証拠立てて、私をこのように水のうえに浮かせていらっしゃいます。私を助けて村へ連れて行って下さい。そしてこのことを長老様たちに話したら、私はきっと助けていただけるにちがいありません。」
 二人の漁夫たちは、この言葉を聞いたが、彼女を連れもどして十リガチュールの日当をふいにされてはたいへんだと思い、彼女を助けあげるかわりに、互いに眼と眼で示しあわせて櫂をとり、不幸な娘を撲殺してしまった。これがあわれなディエの最期であった。
 次の夜、二人の漁夫は、一つ藁小屋の中に坐って、いそがしそうに網のつくろいをしていた。
 突然、表口から、一人の若い娘が、濡髪をみだしてはいってくるのを見た。それがディエであることを知ると、二人は馬鹿になったように、身動きすることも出来なかった。
 やっと自分をとりもどし、彼等は、どもりどもりたずねた。
「あなたは、もう死んだのではなかったのですか。どうしてもどって来なさったか。」
「そうです。私は、潔白な心のままで死にました。天帝は、三目のあいだにあなた達が死ぬということを知らせるために、私をおつかわしになりました。」
 言い終ると、ディエの姿は、かげのように薄くなり、やがて消えてしまった。
 その時から二人の漁師は、理性を失って、おなじことばかりを口癖のように口走りつづけた。
「助けておくんなさい。わし達は罪のない女を殺してしまった。殺しはしたが、仕方のないことだったんだ。だから、わし達のいのちばかりは助けておくんなさい。」
 丁度三日目に、二人は血を吐きはじめ、ディエが予言した通り、死んでしまった。
 この噂も、集落から集落、家から家へとひろがり、遠く安南一帯に話の種となった。
 やがて鄭宰相の耳にも、その噂がはいった。
 宰相は自分の非行をたいへん後悔し、ド-ソンの住民に命じて、あわれな娘の霊をなぐさめるため、一寺を建立させた。
 それ以来、住民は、この寺に詣り、いろいろなりやくを受けた。
 バ・ディエと呼ばれるこの寺は、ド-ソンの丘の西寄りの地方に、いまものこっている。