夜のハノイその7「緋文字の娘たち」2

夜のハノイその7「緋文字の娘たち」2
タックラム Thạch Lam
 夜の仕事はとても昔からある職業で、我々が定住した頃から、男性にその心と体を捧げる女性たちがいた。その頃の「紅楼」は姿を変えて、今では「緋文字の家」になったが、好色で淫蕩なその性質は以前のままだ。
昔も今も、「緋文字の娘」と言う言葉は、女性に嫌悪やおそれを抱かせた。人はその話をするときにはひそひそとこっそり話した。
 まず婦人たち、そして中年の婦人たちは、「緋文字の家」の前に立つことを考えただけで、気絶してしまうだろう。女の子たちの名前や仕事について、婦人たちは決して話さないし、女の子たちは、社会つまり婦人たちの社会からは隔絶されている。
 そこに遊びに行く男性たちも、女の子たちを軽蔑している。実際「緋文字の家」の女の子たちはあつかましく、いつも強引に客を引く。たとえば男の靴や帽子をつかんで取ったり、金を取ってしまうこともある。だから女の子たちのいる小路は、夜は目的のある人以外誰も通ろうとしない。
 これは女の子たちの復讐でもある。多くの客は下層階級の人間で、女の子たちの苦しい生活を考えれば仕方がない。おかしなことだが、困窮が、女の子たちにを粗暴で傲慢なやり方で解決するようにさせるのだ。
 女の子たちは凶暴な人間だ。がさつで、野卑で、しかし痛ましい。凶暴な精神もしかたない。支える家族もなく帰る所もない身なのだから。今はこんな生活で、将来は暗く、あぶくのようで、今よりもっと危険なのだから。
 淫売の娘たちの苦痛や困苦は筆舌につくしがたく、後でその苦しみについて述べることにするが、しかし娘たちの誰もがたどるのは病気の害だ。この病気はいつも彼女たちの体の中で待っていて、悪化してついに死んでしまうまで直らない。逃れられる娘はほとんどいない。娘たちだけでなく、この病気は一般社会にまで流行して、どんな人にもその症状が現れる。
 市の衛生部の事業は以前より開設と配置が進んだが、夜の娘の数は毎日増加していて、まだ充分ではない。かつては娘たちの数は少なかったが、毎週2回は診察日があった。
 いつも、衛生部の門の前には奇妙な風景が見られる。ぼろぼろの服の娘や、洗練されたマナーの人や、中国風や田舎娘や。ラメの入った服を着た貴族のような娘が、茶色い服の裸足の人と立ち話をしている。どの顔も少し悲しそうで、診察はまるで彼女らへの刑罰のようだ。
 しかし施療所に行くことは、もっと苦しく、直るまで何か月も何年もかかる。この病気になると健康になるに時間がかかる。
 どれだけの困苦が娘たちの希望をなくしてしまうだろう。娘たちの人生は暗く寒々しく、明るさや暖かさがない。ケアがなくては、娘たちの凶暴さをせめることはできない。
 ぼくはハノイの資産家だったC氏の娘のいる小路を知っている。C氏の性格がただ500銀ドンでC氏の娘を売らせ、自分の娘を「緋文字の家」で堕落させることになった。落ちぶれていく家族から出た娘たちが、悲しくつぶやき、と切れと切れに歌を歌う。哀愁と憂鬱、乱れてふしだらな調子に合わせて。
「ああ人生よ。私は身を売りに行く
  恋人のために、遠く離れて
  ハンカウ通りから遠く離れて
  ドンマック口まで思い出す」
 恋人に救われる「緋文字の娘」の話が恋人の嘆きをとらえる。娘はいつか外に出られること、心から愛してくれる恋人が養い親に金を払って、身請け(xé giấy 紙を破る)してくれることを願う。
 「私の席よ ありがとう
  みなさん 私は結婚します」
 この歌の終わりはこのようだ。しかし現実はもっと冷酷で憂鬱なものなのである。