ハノイでは昔10人に1人が売春婦だった??
「ハノイでは昔10人に1人が売春婦だった??」
以前も第2次世界大戦時のハノイの遊郭について紹介しましたが、
最近翻訳された「ベトナム女性史」では、1937年12/15号の「益友」によると、ハノイには当時270軒の歌劇場、20軒のダンスホール、15軒の公然遊郭があって、脱税(非公然)遊郭はもっとあると言っています。270軒もある「歌劇場」ってクラブかキャバレーみたいな所でしょうか?
また当時ハノイの人口が10万人のところ、歌姫、踊り子、女給仕が1万人(「首都ハノイの歴史」,「史学」ハノイ,1960)で、これらの職業では売春する可能性が多いから、ハノイの10人に1人は売春婦だったと言っています。これはちょっと極端な数字だと思うのですが…。
しかし当時(1931年)は、子ども1人が1ドン半で売られていた(タックラムの小説では先生の給与が5~6ドン)と言いますから、ひどい状況ではあります。
それで、1941~44年にはフランス政府の増税に反対した女性による不買運動が起き、1937年5月24日には大きな集会が開かれ、日本軍がフランス軍をおそった明号(めいごう)作戦の後には、ハノイの通りで日本に抵抗するポスターを貼るベトナム女性が出てきたり、ドゥォン川の溝に隠れて日本人を銃で撃った女性もあらわれたそうです。
写真はFemmes et guerresより 著者Lê Thị Nhâm Tuyếtさん
参考:「ベトナム女性史―フランス植民地時代からベトナム戦争まで―」
レ・ティ・ニャム・トゥエット(Lê Thị Nhâm Tuyết) 編訳 片山須美子