小谷剛と政治の季節 (その4)

本当は硬派な政治の人
小谷剛のお父さんは新聞販売店を経営して、その後鍼灸治療院を開設
保守党の市会議員にも立候補したことがあるそうです。
小谷は保守党のお金を使った汚い選挙に反発
1952年社会党に入って10年間ほど政治活動をします。
当時の市長小林橘川(きっせん)は中日新聞出身の革新系市長だったんですね。(市長選ではなんと徳川家の候補者徳川義親と戦ったとか)
小林橘川.jpg小谷は読書も小説を読まなくなり、政治に関わる本ばかり読むようになったと言っています。
また、文芸誌「作家」への投稿や文壇の作品が、
男女の愛欲や日常の些細なことばかりをテーマにすることに対して、
この時代にそれでいいのかと問うています。
その後離党はしたそうですが、市民運動への協力は続けたそうです。
「女性のための文章作法」 小谷剛 講談社
写真は名古屋市営地下鉄東山線開通式の小林橘川(交通局写真)と地下鉄の碑