阿片その2 中国とベトナムの阿片窟と伎楼
「阿片その2 上海の阿片窟と伎楼」
戦前の阿片について、1931年に国枝史郎が中国の体験記を書いています。ベトナムもほぼ同じだったと思われるので紹介します。
●阿片窟
大連では支那人の奥町に龕華楼という官許の阿片窟があったそうです。官許にしてお金を儲けようとするところは、日本もフランス人と同じですね~。
建物は中国の家らしく中庭があって、廊下に部屋が並んでいて、部屋の縁台で2人並んで阿片を吸うそうです。液体状の阿片を飴状に固めて、あぶって吸います。この辺もベトナムと同じです。
違いと言えば、ベトナムは暑いから縁台がある場所が開放的なあることでしょうかね。(写真はハノイ)
●伎楼の阿片
大連では伎楼でも阿片が吸えます。って阿片を買えれば家でもどこでも吸えるんですけどね。
伎楼では娼妓が縁台にいっしょに寝て、阿片を吸わせてくれます。この辺や娼妓がある程度客を選べるところもベトナムと同じようです。
またカボチャの実やハスの実、お茶が出てくるそうですが、ベトナムならヒマワリの種と果物も出ますかね。
●女子の断髪
この頃、上海の女性はみんな髪の毛を肩までの長さで切っていて、なかなかスマートに見えたそうです。発疹チフスなど伝染病のシラミによる感染を防ぐために、切らなければならなかったそうですが、ベトナムでも同様で、髪の毛のケア(シラミをとること)ができない人はショートカットにしていたそうです。
参考:国枝史郎「赤げっと 支那あちこち」青空文庫
ちなみに題名の「赤げっと」とは、赤い毛布(たぶん東北地方の角巻)を羽織ったお上りさんの意味だそうです。
写真はハノイで阿片を吸う人「アルベール・カーン コレクション よみがえる100年前の世界」日本放送出版協会